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愛犬ココ

[2013年04月07日]

僕の実家では、高校2年生の頃から飼っている雑種犬がいました。名前はココです。何年か前には腫瘍切除の手術なども受けたことがありましたが、その後は特に大きな病気もなく、余生を寝て過ごす毎日を送っていました。

梨の木どうぶつ病院の開業をあと数日に控えた3月のある日、父からメールがあり、ココの具合が悪く、家の中に入れて様子を見ていたが、もうほとんど動かなくなってしまったとの連絡が入りました。僕が開業準備で忙しく、恐らく家には見にこれないだろうと、写真が添付されていました。

この写真を見た時、涙が止まらなくなりました。もう16歳と8か月、いつ逝ってしまってもおかしくない年齢で、それなりに覚悟はしていたつもりでした。また、獣医師という職業に就いたことで、これまで数多くの動物たちの臨終に立ち会ってきており、動物とはいつかは別れが来るものであるということは理解しているつもりでした。しかし、後から後から涙が出てきて止まりませんでした。

ココとの出会いは、僕が高校二年生の時、同級生から公園に捨てられている子犬がいるから見に来てほしいと言われたことがきっかけでした。とりあえず見に行こうと父と共に車で出かけました。すると、公園近所の人々が、「あ!新しい飼主さんが来てくれたよ!よかったね!!」と、既に飼うことが決まっていたかのごとく、歓声を上げました。僕も父も引っ込みがつかず、そのまま引き取ることになりました。

あれから16年、ココは僕たち家族にたくさんの幸せをくれました。ココが庭でひなたぼっこしている姿を見ては癒され、時に噛みついてきて散々怒ったこともありました。いつも庭にいて、それがあたりまえでした。そのココがもういなくなってしまう。居てもたってもいられず、タクシーで実家に駆けつけました。

ココは横たわっていたものの、撫でてあげると顔をお越し、少し元気を取り戻したように見えました。母は、良かった良かった!これでまた長生きできるね!と喜びました。しかし僕には、明らかにあと数日の命であることがわかりました。そして数日後、ココは天国へ旅立ちました。

この時はもう泣きませんでした。ただただ感謝の気持ちでした。亡骸は父が庭に穴を掘って埋めたと、後から連絡がありました。ついこの前、お墓参りに行ったら、きちんと墓標があり、「ココ 16歳」とあり、多分メスのマーク「♀」のつもりで、上下が逆さの記号が書かれていました。僕が、これ逆さだよ、これじゃあミカン畑のマークみたいになっちゃってるよ、というと、父は、ああそうか、間違えちゃった、ハハハと目に涙をためながら笑いました。

開業の直前にココが逝ったことに何か意味があったような気がします。思えば獣医師として働き始め、時にはキャリアに走ろうとした時期もありました。そんな僕に、ココは教えたのかもしれません。僕がみるべきなのは獣医師としてのキャリアや名声ではなく、動物とその家族であると。この気持ちを忘れることなく、努力していくことをココに誓います。

ありがとう、さようなら、ココ。